彩り鮮やかな野鳥のオナガが、真新しい印西牧の原駅のホームに居ました。ブラックフェースに銀色の胴、そしてブルーの尾。住都公団の新型車両9100形電車「C-フライヤー」です。急行運転開始から2年後の1995(平成7)年3月30日、公団線区間・千葉ニュータウン中央駅~印西牧の原駅間4.7㎞の延伸開業に合わせて導入したもので、千葉ニュータウンのイメージアップや省エネルギー化、乗り心地や乗客サービスの向上などを設計の基本とした最新鋭の車両でした。中でも鳥のオナガをイメージした前面形状は近未来を予感させ、グレーの落ち着いた色調の室内や、3・6号車に設置したカード式公衆電話は、4月1日の本開業に先立ち、3月30日に印西牧の原駅で挙行された開業記念式典の参列者150名の目を釘付けにしました。千葉ニュータウンの東側に位置する西の原地区は、1994(平成6)年春から入居が始まっていたものの、交通手段は長らく千葉ニュータウン中央駅へのシャトルバスのみのエリアであり、だからこそ“都心への足”となる千葉ニュータウン中央駅~印西牧の原駅間の開業は、近隣住民にとっては待ちに待ったものでありました。春とは言え、小雨降る肌寒さの中、一日駅長として襷と帽子を身につけた2人の小学生が、電車の進行方向を凛と見据えて背筋を伸ばし、「出発進行!」の合図を出したのは午前11時25分。するとC-フライヤーはこの瞬間を待ち構えていたかのようにレールの上をすべるように走り始め、その姿は、まさにオナガがライトブルーの長い尾を引きながら飛翔していく姿のようでした。C-フライヤーが走り出した印西牧の原駅周辺は、住宅が完成しつつあったとはいえ、車窓を流れる風景は未だ開発途中の原っぱでした。ある駅員は「駅前の喫茶店で飼われていたヤギが駅まで逃げて来たことがある」と後に回想しているように、実にのどかな風景が広がっていたのです。その中に誕生したアーチ屋根の都会的な駅舎は、どこかそこだけ異質にも見えました。しかし地盤が強固で地震に強く、大消費地の東京や空港にも近い一帯の土地は、底知れぬポテンシャルを秘めていました。事実、2010年代にはインターネット時代に不可欠な社会基盤であるデータセンターの集積地として、米Google社や英コルト・グループなど国内外のIT企業が進出して来ますが、それは少し先の話です。一方で、華やかな新駅の正式開業日の1995(平成7)年4月1日、当社は開業以来7回目となる、平均10%の運賃改定も実施しています。こうして着々と鉄道が敷かれ、千葉ニュータウンの人口は徐々に増加していったものの、新たに入居した“千葉都民”は、地域の行事や政治に興味を持たないという側面も新聞で取り上げられていました。終日都内で過ごしている分、関心は都内に向けられ、千葉は“寝に帰る場所”に過ぎなかったのです。そこで、当時、県内随一の人口増加率を誇った印西町では、まず新住民に自分が住む町を知ってもらおうと「コスモスまつり」や江戸時代の装束で木下街道を歩く「木下街道膝栗毛」などのイベントを実施したのでした。当社もこれに協力し、コスモスまつりを盛り上げようと1995(平成7)年10月8日開催の第9回から参加。約200万本のコスモスが咲き乱れる印西牧の原駅南側のコスモス畑のテント村の一角に出展し、北総開発鉄道を知ってもらうための901995–平成7年6.印西牧の原駅開業と C-フライヤーデビュー
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