北総鉄道50年史
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ながら20年以上に亘って行われました。当時、これら増収施策の取り組みの陣頭指揮を執った元常務・小江淑氏が、後年記した寄稿文には、往時をこう伝えています。「利根の川風か、つくばおろしか、とにかく耳の先の寒さがこたえる1月下旬から2月にかけてのこと。毎朝、我が社のセールス部隊は2人1組に分散して、北総台地の社屋を飛び出して行く。手には販促資料で膨らんだ紙袋、懐には都内を飛び歩くためのパスネット。最寄の新鎌ヶ谷駅へ急ぐ足どりは、心なしか緊張していて固い。都内の目的地まで、たっぷり1時間。その間に、セールストークが冴えるように、なんとかこわばった頬の筋肉をほぐしておかなければならない。こうして訪問するのは、東京の下町を中心とした約250校の小学校。売り歩くのは「遠足」である。鉄道会社にとって、沿線は「命」だ。ところが、我が社の沿線の田園地帯はどうだ。2度のオイルショックと平成の大不況のあおりを受けて、少しも市街化が進まない、だからお客様も伸びない。それならば、この有り余る“緑”を売るしかない。聴けば都内の子供たちは、校庭もアスファルトで固められ、四季の訪れとは縁遠いとか。こうして、遠足誘致のための小学校訪問が始まった。1,000億円以上を投じて悲願の都心乗り入れを果たしたとたん、見込み旅客数と実績との乖離にガク然とした、1991年のことだった。幸いにして、タマには困らない。市川市営の大町自然動植物園だの、船橋市営のアンデルセン公園だの、県立北総花の丘公園だの、どれも一級だ。セールス部隊は、部長クラスから課長補佐、駅長まで、30名の管理職が職場横断的に2人組をつくり、業務の合間にうって出る。沿線の各施設から掻き集めた紹介資料をテーブルに拡げ、校長先生、教頭先生を前に冷汗を流す。実際に小学校を巡ってみれば、甘酸っぱい子供の頃の思い出とは全くの様変わり、まさに現代社会の実相を勉強させていただいているようなもの。少子化に伴う学校統廃合、学校の自由選択制による学校間の差別化、児童被害犯罪の多発化対策としての校舎管理強化、土休化による授業時間の減少の辻褄合わせがもたらす遠足廃止などなど。それでも各人必死の訴えが実ったのか、今では、毎年4万人弱の子供たちが、遠足で目を輝かせて北総線に乗車してくれるようになった。」824沿線イラストGUIDEも作成5同GUIDE。今、改めて開くと時代を感じるイラストに味がある6お彼岸湯茶接待サービス 八柱霊園最寄りの松飛台駅では、お彼岸の時期に無料で湯茶を提供するサービスを実施7「あなたのイベントに駅貸します」 サークル等の発表の場に駅構内を開放(西白井駅でのフラワーアレンジメント展)4

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