北総鉄道50年史
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1 1944~1978第1部1979~19841984~1991第2部第3部第4部1991~20002001~20102010~2019第5部第6部第7部2019~ 現在営業収入が伸び悩む中でも、鉄建公団への巨額の債務返済は、当社に重くのしかかります。これに加え、電車を動かすための電気代始め、施設や車両のメンテナンス、従業員の人件費など日々の運営コストも当然の事ながら発生します。それらの支払いには、日々の運賃収入に加え、これまでの1次、2次に亘る関係者支援による出資金や融資金を充当すれどもなお足らず、1991(平成3)~1993(平成5)年度の3年間は、京成電鉄による越年緊急融資(合計61億円)を受け、ようやく年度末を越すといった有様でした。関係者による幾多の支援にも関わらず、当社の経営状況は、「第2次支援」策定時の想定を上回る悪化の途を辿って行ったのです。こうした当社の危機的な経営状況に加え、もう一つの問題もクローズアップされてきました。北総線の高額な運賃です。鉄道専業の当社にとっては、借金返済のすべは鉄道運賃収入に頼るほかなく、首都圏の他線と比べて2~3倍高いといわれる運賃問題は、いわば構造的な宿痾でした。以降、運賃高止まりの時期は続き、「都心までの通勤定期代は半年で20万円以上かかる」、「子ども一人を都心の学校に通わせれば通学定期代は月2万円以上。仕方なくパートを始めた」などの声が千葉ニュータウンの住民始め、沿線の皆様から当社に多く寄せられました。そして高運賃はいつしか北総線の代名詞となり、「財布を落としても定期は落とすな北総線」との言葉まで誰彼ともなく囁かれ始めたのです。79第4部 北総沿線の発展とともに

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