北総鉄道50年史
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総工費約1,200億円と8年の歳月を費やした北総線第2期工事がついに完成。1991(平成3)年3月31日、当社創業以来の悲願であった都心直通運転が開始されました。開業前日の3月30日に東松戸駅ホームで行われた祝賀セレモニーでは「北総線京成高砂駅・新鎌ヶ谷駅間開通」と大書された横断幕がホームの天井に掲げられ、その下で北総開発鉄道第5代社長の杉山市良氏はじめ、沼田武・千葉県知事や関係者による華やかなテープカットが行われました。観衆の中には、開業を長期に亘って支えてくれた千葉ニュータウンの組織「北総地域交通対策協議会」の方々の笑顔もありました。協議会の皆様との約束であった昭和66年3月開業、つまり「ロクロクサン」をついに実現したのです。これで1期線の3駅(西白井・白井・小室)に加え、新たに新鎌ヶ谷、大町、松飛台、東松戸、秋山、北国分、矢切、新柴又の計8駅が開業しました。ホームでは、2期線開通に合わせて新造した7300形車両が、北総ブルーのラインが入った軽量ステンレスの車体に春の陽射しを浴びながら発車の時を待っていました。この7300形は、省エネ効果の高いVVVFインバータ制御仕様で、当時珍しかったLED式車内電光表示装置や、ラジオ受信装置、マイコン制御のインバータエアコンなどを搭載したハイテク車両でした。北総2期線開業に合わせ、こうした新装備の車両を16両新造したのに加え、他社から中古車両24両を譲受したほか、これまで6両編成だった7000形、住都公団所属の2000形も中間車両2両を新造して全編成を8両化。都心直通運転に対応する車両体制を整えました。午前11時30分、期待を一身に背負った7300形は、関係者や住民、鉄道ファンらが見守る中、京成高砂方面へ向かいゆっくりと動き出しました。千葉ニュータウン中央駅から都心(日本橋)まで55分で直結。実に17年越しの夢を実現した瞬間でした。この日のことを千葉ニュータウン記念誌は、北総開発鉄道、住都公団鉄道、京成線、都営地下鉄、京浜急行線の5者線が相互乗り入れで結ばれる「全国でも珍しいケース」と伝えています。以降、平日1日当たり京成高砂方面120本、松戸方面72本の運転本数と、朝のラッシュ時の10分間隔(松戸方面は20分間隔)のダイヤ編成で、路線延伸により1日5万人の増加が予想された利用者の足として、北総線は新たな歩みを始めたのです。一方で、全線開通と同じ日、当社は創業時から運営してきた不動産事業の整理を完了しました。これまで沿線中心に一定の不動産営業収益を上げた事業ではありましたが、経営赤字が深刻化した1985(昭和60)年頃に、金融機関から支援の条件として事業の見直しを求められたのでした。奇しくも2期線の始まりの日に、不動産事業は終わりを告げ、当社は鉄道事業のみに専念することとなったのでした。721営業開始の前日に東松戸駅で執り行われた開通式のテープカット(平成3年3月30日)。2期線は予定通り平成3年度中に開通した2開通祝賀列車の出発式。祝賀列車は開通記念式典会場の矢切駅に向けて多くの来賓の方々を乗せ出発した3平成3年3月31日から悲願の都心直通運転が開始された。2期線開業に備え増備された7300形は、VVVFインバータ制御や車内案内表示器等、当時の最新技術をふんだんに採用した平成3年1991–4.悲願の北総2期線開業 ついに都心直通55分時代へ

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