1984(昭和59)年に始まった2期線建設工事も6年が経ち、いよいよ佳境を迎えていました。当初計画では、軌道の狂いを防止出来てメンテナンス費用が抑えられるスラブ軌道(コンクリート製の板の上にレールを敷く手法)にする予定でしたが、その後、騒音対策を重視してバラスト(砕石)軌道に変更した真新しい砕石が、各所で鈍色のレールを支えていました。そしてそのレールには、騒音や揺れを大幅に軽減できる継ぎ目の少ないロングレールが用いられました。さらに高架橋には、地域住民に配慮した高さ2mの防音壁や吸音壁が並び、後は電車が走るのを待つばかりとなっていました。工事中には様々な課題が生じたと施工管理を担当した工務課の岩渕正晃氏は言います。「東松戸で地盤の悪いところに盛り土して、リバース工法で杭を打った時は、スタンドパイプの脇から水が溢れてきて収まらなかった」そこで工事関係者と共に夜半まで作業し、安全な地盤を築きました。また「環境問題もあって認可申請時の線路通りに行かず、カーブが多くなった」のも課題で、その分、路線の走行に負荷がかからないよう万全の設計を施していきました。やがて松戸市紙敷の高架橋が完成し、江戸川には全長529mの橋梁がかかり、いよいよ完成形が見え始めて来ました。北総2期線の工事では、様々な最新の工法が採用されました。中でもトンネル工事で採用したのが山岳工法(NATM)でした。従来、トンネル工事にはシールドマシンという巨大な掘削機を使うシールド工法が用いられるのが普通でしたが、工事も大規模となり、費用もかかる工法でした。そこで新柴又~北国分間の住宅地の下に栗山トンネルを通す際には、オーストリアで誕生した、比較的コストも抑えられる山岳工法(NATM)を採用したのです。これは小型のショベルカーで掘削して出来た空間を吹付けコンクリートとロックボルトで保持する方式で、アルプスを越える世界遺産ゼメリング峠の山岳トンネルなどにも使われているものでした。本来地盤の固い山岳地帯で用いられる工法を最新技術を駆使し、当社が初めて市街地域の掘削に採用したのでした。当然、簡単な作業ではありませんでした。下総台地を東西に貫き、松戸市や市川市の新興住宅地を通過するトンネルの長さは1,827mもあります。成田層と呼ばれる黄褐色の砂層を小回りのきくショベルカーと人力で地道に掘り進む作業です。掘削した部分はコンクリートで固め、岩盤とコンクリートを固定するロックボルトを打ち込み、地山自体の保持力により強度を高めていったのです。途中、地下水や土質の変化にも作業者全員で気を配り、やがて円形断面の一本のトンネルが終点側へと延び、開通の光が射し込みました。こうして多額の予算をかけなくても安全や強度、快適さをもたらす手法を探し出し、大手鉄道会社に勝るとも劣らない路線を築いていったのです。そして北総1期線の着工以来17年越しの全線開通は、もう目前に迫るのでした。701「あなたの町と都心を結ぶ」のキャッチコピーを大きく掲げた建設現場の看板。早期開通を熱望する地元の期待も大きかった (昭和63年:松戸市大橋付近)2栗山隧道入口から江戸川方面(昭和62年)3北初富駅前の1期線と2期線の接続部。(昭和59年頃)高架下に見えるプレハブ建物が当時の建設部事務所。自動車が駐車している場所には当社の子会社「北総観光株式会社」が管理していた自販機があり、飲料販売の“副業”を行っていた昭和59年1984–3.トンネルからレールまで 新技術を駆使した2期線工事
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