北総鉄道50年史
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1 2000形の搬入風景(西白井車両区)60り出したニトログリセリンを見せて、『自分は心臓が悪くてこれをいつも持ち歩いている。自分はいつ死んでもよいが、北総をなんとかしないと、死んでも死にきれない』と言う。私は否応無しに北総再建策を考えざるを得なくなった。まず、鉄建公団への債務返済について、『返済方法は運輸省の定めるところによる』とあるのに目をつけて、大蔵省の佐藤主計官のところに出掛けていった。そして、鉄道を譲渡しても、5年間は返済猶予。6年後からポチポチと返し始めるという案を説明した。佐藤主計官は、腕組みをして、眼を閉じ、じっと暫く考えていたが、やがて眼をあけると、一言『わかりました。お任せします』と言った。佐藤主計官は後に防衛事務次官までなさったお方であるが、上に相談するとも言わず、自分の一言で、北総の支払い猶予を認めたのであった。出る方の余裕を得たので、次に千葉県の沼田副知事に会いに行った。金を貸してくれ、と頼んだ。沼田氏も眼を閉じてじっと考えていたが、やがて『明日まで時間を下さい』と言った。そして翌日、『県の農協と話をつけたから、農協から金を借りるように』と言う。その後聞いた話では、北総が借金を返すまでは、県が農協に預けている金を引き出さない、ということで話がついたようだった。自主的な拘束性預金である」。1こうした関係者・関係機関の尽力により、北総線北初富~小室間の運営における当面の資金不足回避のため、京成電鉄、千葉県、住都公団および鉄建公団と金融機関による支援措置が1985(昭和60)年下期から1990(平成2)年度にかけ実施されました。後に「北総第1次支援」と呼ばれるこの支援の主な内容は、①京成電鉄19億円、千葉県10.5億円、住都公団7.5億円、合計37億円の出資のほか、②京成電鉄による20.2億円の融資。③鉄建公団の譲渡代金の元利返済について、5.5か年の返済猶予。金融機関からの借入金についても5年間の元利返済猶予というものでした。当社は多くの関係機関に支えられていること、さらに公共交通機関としての責任を果たさなければならないことを当社役員・社員は皆、改めて実感いたしました。 支援をいただいた多くの人の恩に報いるため、そして、何より地域住民のために、悲願の2期線建設に向け、当社は歩を進めて行ったのです。

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