北総鉄道50年史
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か慎重に検討を続け、1972(昭和47)年2月には、との意見書が纏まりました。そんな中、1972(昭和47)年3月1日に迎えたのが「都市交通審議会第15号答申」でした。都市交通審議会は1955年に運輸省によって設置されて以来公共交通のあり方を提案してきた組織であり、都営地下鉄の参入や、郊外私鉄との相互直通運転を答申するなど、影響力は絶大でした。その審議会からこの日、「1985(昭和60)年を目標年度とし、都市の外延化による長距離通勤を考慮して、各ニュータウンへ路線延伸すべき」との提言が出されたのでした。注目すべきは千葉ニュータウンの足として2つのルートが挙げられたことです。一つ目は「都営浅草線を延伸し京成高砂から松戸、市川両市境を東進し、鎌ケ谷市初富を経たのち千葉ニュータウンの小室地区に至る1号線ルート(京成電鉄側)」。もう一つは「都営新宿線を延伸し、本八幡から鎌ケ谷市初富付近を経て、千葉ニュータウンに入り小室、中央、印西草深から印旛松虫に至る10号線ルート(千葉県側)」でした。これは、当時先行して開発が進んでいた多摩ニュータウンに京王線・小田急線の2本の鉄道路線が通ることに倣い、住民に路線の選択肢をもたらすための措置でしたが、これにより事実上、両者の新線開発に国のお墨付きが得られることとなったのです。融資条件も有利になるこの答申を受けるや、千葉県は直ちに建設工事に向けて準備を始め、京成電鉄も新会社設立に向けての動きを加速させていきました。先んじるのは鉄道のプロ・京成電鉄か? それとも開発大明神が牽引する千葉県営鉄道か? ここから2つの鉄道計画は、大きな胎動を刻み始めたのです。1 千葉ニュータウンパンフレットの表紙千葉県開発庁新都市開発局宅地開発課発行パンフレットより(昭和47年1月発行)2 都市交通審議会15号答申路線図   (1号線と10号線)3 15号答申の表紙4 5 15号答申の内容の一部361① 暫定措置として京成電鉄側に優先権を与え1974(昭和49)年度までに開通させる。② 1978(昭和53)年度までには県営又は第3セクターによる通勤鉄道を敷設する。

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