北総鉄道50年史
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154154その間、いくつかのエポックメイキングなことがありました。1つは、1991年の「都心直結」ですね。これで、ぐっと路線の価値が上がりました。都心まで1本で行けるというのはご利用のお客様にとっては待望の、当社にとっても悲願の出来事でした。2つ目は、2000年度の「単年度黒字」でしょうか。開業以来、積み上がった累積赤字は約450億。それを、ようやく、少しづつでも返していけるようにまでなったということです。3つ目は、2010年の「成田スカイアクセス線の開業」です。従来の、通勤・通学輸送に加え、空港アクセスの重要な一翼を担うという新たな機能が求められるようになり、路線価値を大きく変えるにとどまらず、社員の気概や意識まで大きく高めることになったと思います。この方針は、累損が解消するまでになった経営状況の中で、当社にとっては順当な、いわば既定路線ではありました。したがって、私が何か特別のことをしたとか、何かを変えたとかということではありませんし、ましてや、英断などでは決してありません。たまたまその時期に社長として居合わせたというタイミングだけのことです。あるとすれば、永年に亘る利用者の皆さんの切実な思いと沿線自治体からの強い要望、そして、沿線の将来を見据えた当社としての成長戦略だと思います。値下げの検討にあたっては、慎重の上にも慎重を期し(再び支援をお願いするような会社に戻ることは決して許されません)、そして、決めた以上は可能な限り早期に実施すること。また値下げ幅は最大限のものとし、一律値下げで4つ目は、2022年度に「累損解消」のめどが立ったということです。創業50年にして、また、単年度黒字転換から約20年。お蔭様で、ようやくここまでたどり着けたのです。自分たちの身の振り方について、ようやく自分たちで考えられるようになったのです。もちろん、累損は解消しても600億以上の有利子負債は残っていますし、想定外の新型コロナの影響で現下の収支は相当傷んでいます。さて、どうするか。それが最大の経営課題でした。そこで出した答えが「運賃値下げ」です。はなく、戦略的、重点的なメニューにいたしました。(値下げの詳細は本篇をご参照ください)以前から値下げの可能性については内々検討されていたことではありますが、コロナという想定外の非常事態の中、また、テレワークの浸透による通勤需要の減退が懸念される中、大変重い決断であったことは事実です。いろいろな方から、「大丈夫か?」「何もこの時期にやらなくてもいいのでは?」と心配していただきました。また、ある債権者からは、「正気の沙汰とは思えない」とまで言われたものです。私自身、この内容で、このタイミングで実施することが果たして適切か、毎日、毎日、寝ても覚めても自問し続けたものです。(おかげで随分髪の毛が薄くなりました)いずれにしてもこれからが正念場です。50年間を振り返って思うこと  その2運賃値下げについて

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