北総鉄道50年史
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ラストランを終え、車両基地に戻って来たゲンコツ電車を見つめるベテラン北総社員の胸中には、「これまでよく頑張った」と労いの気持と、「まだやれたのに……」と、悔恨の情が去来していました。北総鉄道の歴史の中で唯一ローレル賞を受賞し、開業以来長きにわたって看板電車として活躍を続けてきた通称“ゲンコツ電車”7000形がこの日(2007(平成19)年3月25日)引退を迎えたのです。北総1期線の開業(1979(昭和54)年3月)時のデビューからまだ28年余り。製造してから数度の車体や機器の更新を繰り返し、時には半世紀以上に亘って活躍する電車も多くある中、28年というのはいかにも短命ですが、この時点で既にゲンコツ電車はかなりの老朽化が進んでいたのです。開業以来、資金難に悩まされる苦しい経営状況が続いた当社では、車両の保守費用に関しても、法定の定期検査費用以外の細かな修繕に回す充分な資金がありませんでした。このため、スキンステンレス構造の車体にあって、未だボディ外板はデビュー当時と変わらぬ輝きを保っていたものの、鋼製躯体の内部は傷みが進行し、ある編成の運転台の床は腐食で穴が開いた場所を板で継ぎ充てるなど、目に見えて劣化が進んでいました。当社としても格別の思い入れのある車両であり、出来るだけ永く活躍させたいとの思いはあったものの、未だ続く厳しい経営状況下で、今後もお客様に安全・快適にご乗車いただくためにかかる維持修繕コスト等を考慮した結果、誠に苦渋の決断ではありましたが7000形車両の引退を決定するやむなきに至りました。会社の経営状況に翻弄され、あたら命を縮めさせてしまった7000形に対し、当社は最後の餞として「さよなら運転会」を開催し、ゲンコツ電車に有終の美を飾らせたいと考えました。「さよなら運転会」当日は、朝から雨風が強い生憎の天気でしたが、抽選で選ばれた420名のお客様が「ゲンコツ電車のラストランを瞳に焼き付けよう」と印西牧の原駅に列をなしていました。雨にけぶるホーム。最後の乗客420名を乗せ印西牧の原駅を出発したゲンコツ電車は、車両担当の職員手作りの引退記念ヘッドマークを装着し、北総線誕生のきっかけとなった千葉ニュータウンを抜け、見慣れた里山風景の中を走って行きました。松飛台のカーブも難なくクリアし、矢切のトンネル内にモーター音の最後の咆哮を轟かせ、全盛期同様、きっちり最高時速105km/hで走り抜けます。矢切駅を折り返し、ゴール地点である印旛車両基地へと戻ったゲンコツ電車は、カメラを構えた大勢のファンに囲まれるのでした。「おつかれさま」「ありがとう」。いつまでも響き続ける声援の中、名物電車は28年にわたる現役生活にピリオドを打ったのです。ところでゲンコツ電車の物語には続きがありました。乗客と共に「写真集を作ろう」という企画が引退早々に持ち上がったのです。「多くのファンに愛された7000形だからこそさまざまな写真があるのではないか」と一般に呼びかけると、短い期間にもかかわらず235点の写真が集まりました。そこにはニュータウンの満開の桜の中を走る姿から、コスモス畑や夕暮れ、雪原、炎天下の中を行く姿まで、四季折々のゲンコツ電車が収められていました。デビュー当時の吊革のない車内を切り取ったセピア色の一枚は、どこか映画のワンシーンのようでした。何より当社にとって嬉しかったのは、応募用紙のほ1162007–平成19年6.そぼ降る雨の中 7000形ゲンコツ電車引退

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