2000(平成12)年7月22日、住宅・都市整備公団から改称された都市基盤整備公団(以下、都市公団)鉄道区間が延伸(印西牧の原駅~印旛日本医大駅間3.8㎞)され、レールは千葉ニュータウン最奥の住区として開発が進む「いには野」地区へ到達。ドーム型の広いコンコース。「森の中の駅舎」をイメージした外観で知られる印旛日本医大駅が開業しました。白の素焼き瓦や自然石を組み合わせた洋館のような駅入り口を入ると、幾何学的な彫刻を施したドーム型の天井が開け、高い天窓から自然光が燦燦と降り注ぎ、そこは駅と言うよりモスクや美術館に近く、近隣の住民にも驚きを持って迎え入れられたのでした。「駅の入り口から見ると教会のように見え、珍しい建物なのでお客様が話しかけてくださる」とは開業当時の駅員の言葉ですが、この特徴的な造形の駅舎は、早くもその年、国土交通省関東運輸局が主催した「関東の駅百選」に1,062駅の中から選ばれ、街と駅員にとって自慢のタネにもなりました。誕生したばかりの駅周辺には、1994(平成6)年に開設された日本医科大学付属千葉北総病院や、駅開業の4カ月前に街開きした「いには野」の街が広がっています。この地は万葉集にも「印波郡(いにはのこおり)」と記載のある由緒ある土地で、新駅開業を機に都市開発を進め、大きく生まれ変わろうとしていたのでした。新駅開業に合わせ、当社社員も旅客誘致に繋げようと印旛村の約2,000戸の家庭をターゲットにセールス部隊を編成して「新駅開業により羽田空港がより近くなりました」とアピールし、駅の発着時刻表や路線案内を掲載したチラシを手渡しして廻りました。旅客誘致の力強い援軍となったのは、古代のお姫様でした。印旛日本医大駅の駅名標に「(松虫姫)」とかっこ書きで添えられている聖武天皇の皇女・松虫姫(不破内親王)のことです。駅に愛称を付けるのは現在でもあまり見かけない例ですが、これは同駅開業に際し、当社も参加した駅名の検討会において、地元とゆかりのある姫の名を副駅名にすることで地元密着と旅客誘致に繋げようと考えたのです。この姫の物語は1200年前に遡ります。都で重い病に苦しんでいた聖武天皇の第三皇女・松虫姫は、不思議な夢に導かれて下総国に下向。夢のお告げに従い当地の薬師如来に祈ると病気は平癒しました。完治を喜んだ聖武天皇が僧侶の行基に命じて建立したのが印旛日本医大駅から徒歩10分の松虫寺でした。病が癒えた姫は都に戻って生涯を送り「自分の死後は火葬にし、骨の半分を下総国の薬師堂裏に葬るよう」遺言しました。姫の薨去後、お骨は使者に抱かれて再び下総国に下向し、当地の薬師堂裏に葬られました。今も姫の廟所がある松虫寺の岩井宏純住職は、新駅開業当時「鉄道はいろいろなことを変えていく。『駅を降りてみようかな』と思ってもらえる地域に981印旛日本医大駅開業式のテープカット風景 開業式は駅の営業開始前日の平成12年7月21日に執り行われた2開業祝賀列車 開業に備え9100形を1編成増備した3印旛日本医大駅(松虫姫)の駅名看板2000–平成12年10.印旛日本医大駅開業と 松虫姫伝説
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